ヨーロッパ選手権
フィン剣連が全剣連に対して毎年講師派遣を要請している一つの理由は、ヨーロッパ選手権(European Kendo Championships)に向けての強化である。そのヨーロッパ選手権が、4月15日から17日までスイスのベルンで開催された。29カ国が集い、男女団体戦、個人戦が行われた。結果は以下の通りである。
- Men Individual : 1. Blanchard Herve(France) 2. Ulmer Jan(Germany)
- Ladies Individual: 1. Garcia Clemence(France) 2. DestobbeleerAurelia(France)
- Men Team: 1. Spain 2. France 3. Italy/3. Germany
- Ladies Team: 1. Germany 2. Hungary 3. Poland/3. France
我がフィンランド・チームは上位に食い込むことは出来なかったが、男子団体ベスト8を筆頭によく健闘したと思う。特にファイティングスピリット賞を獲得したMia Raitanenの奮闘振りには目を見張るものがあった。前年が男子団体準優勝ということもあり、チームのコーチとしては責任を感じざるを得ないが、全員が良く頑張ったと思っている。長年チームのキャプテンを務めてきたMikko Salonenが、この試合を最後に選手を引退することを表明した。長年にわたる彼の功績に敬意を表したい。
この大会では、多くの人達との出会い再会があった。高校時代の同級生がノルウェー・チームのコーチとして来ており現地でばったり再会したり、大学院時代同 じ釜の飯を食った阿部哲史氏(ハンガリー在住、当チーム団長)とも期間中飲み明かした。またヨーロッパ各地に在住の日本人指導者が夜な夜なホテルのロビー に集まり、彼らと飲みながら語り合うこともできた。貴重な人脈を得たと思っている。
季節はずれの雪が降り、途中停電などもあるなか、大会は無事終了し、狂乱のサヨナラ・パーティーを最後にベルンを後にした。
日本文化講演会
この派遣期間中、何が私にプレッシャーをかけていたかというと、これである。4月10日、日本大使館が主催する日本文化祭(Japanese Day)において、講演をすることになっていたのである。”Japanese Spirit and JapaneseSword”と 題し一時間、しかも通訳なしの英語でということである。これに向けての準備は正直いって非常に大変だった。講演内容の吟味、英訳、パワーポイントのスライ ド作成、発表練習。フィンランドに到着してからの私のプライベートな時間は全てこれに費やされたといっても過言ではない。
講演内容は以下の通りである。
- What is Budo?
- What is the Concept of Sword?
- Kendo and the Concept of Sword
- The Concept of Sword in the Edo Period
- The Concept of Sword in the Middle Age
- Ancient Japan’s Concept of Sword
- Ancient Korea’s Concept of Sword
- Ancient China’s Concept of Sword
- Epilogue: The Spirit of the Japanese and Budo
当日は大盛況で、定員70名ほどの文化センターの講堂に144名 が入り、立ち見が続出、すし詰め状態であった。それでも入室制限をし、予定より少し早めに開始した。終了したときの満場の拍手は生涯忘れることが出来ない だろう。えも言われぬ達成感があった。確かに多くの負担があったが、それだけの成果は得られたと思うし、今考えると自信にもなっている。こういった機会を 与えてくださったことに心から感謝している。
これについての英文の内容は、いずれどこかに発表しようと思っている。
おわりに
後半一ヶ月は時間の経つのが早かった。ヨーロッパ選手権を終えてフィンランドに戻るとあっという間に帰国の時を迎えた。来フィン時には昼間でも薄暗く気温は常に氷点下でどこもかしこも真っ白な世界であったのが、4月末の帰国時には太陽の光がふりそそぎ外気も暖かく人々が活き活きと輝くように見えていた。帰国間際、この二ヵ月半「自分は彼らのために何か出来たのだろうか?」という疑問が沸々と湧き上がっていた。
日本だけで剣道を指導しているときは、現代社会において剣道をやる意義は最終的に人間形成であると思ってやってきたし、今もそう思っている。事実、日本の 歴史の中で剣道は人格陶冶の手段として発展してきた。しかしこれが海外でも通用するか? 多くの海外文化圏において人間形成つまり道徳教育は宗教によって なされてきたし、現在もそうであろう。彼らにとって竹刀でお互いに打ち合う技術を学びながらその目的を人間形成に求めるというのには無理があるように思 う。彼らにとっては既存の宗教等々があり、何もそれを剣道でやらなくてもいいわけで、逆に余計なお世話である可能性もある。事実、前出の友人である阿部哲 史氏(ハンガリー在住)は、剣道修行の目的を人間形成であると説いたところ、激しい反発にあった経験をもつという。「私は剣道を習いたいが、日本人になり たいわけではない」とまで言われたと聞いた。生き方まで色々言われたくないということであろう。私も各地で同じような経験をした。一方で彼らは非常に純粋 に貪欲に剣道を習いたいと思っていることも確かである。彼らが求めているものは剣道の何なのだろうか。今回、剣道の技術指導のみならず特に日本文化の講演 を求められたことにもヒントがあるのか。現在でも相当に頭が混乱している。異文化の中の日本文化である剣道に彼らが求めているものは何か?
当分の間、答えは出そうにない。しかし今回の経験で言えることは、我々が当然のことと思い込み伝えようとしていることと、彼らが求めていることにズレがあるということ。したがって受け手が要求していることを先ずは知ろうとすることが重要だ、ということか。
帰国前日、有難くも大々的にサヨナラ・パーティーを催してくれた。混乱した頭の中はそのままに、ただただ代えがたい貴重な経験をさせてもらったことへの感 謝の気持ちを伝え、浴びるほどの酒を飲みヘルシンキを後にした。フィンエアーのダイレクトフライトで成田空港に着き、湿気の多い日本の空気を肌で感じた時 の安堵感も忘れられない。
帰国後、今日まで5団体9名のフィンランド剣士が剣道の稽古をするために来日し、筑波大学を訪れてくれた。私にとってこれが一番の財産である。