Budo World

A級戦犯最期の剣道―地福義彦氏、聞き書き

地福 義彦(昭和49年12月7日撮影)

酒井 利信(筑波大学大学院 准教授)
月刊「武道」 2011. 2

地福 義彦

不思議なご縁で地福義彦(じふくよしひこ)という剣道の先生から、戦後の剣道史にかかわる一般的には全く知られていない話をお聞きした。

 それはご自身が、東条英機以下A級戦犯の人たちが処刑される前に、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に呼ばれて、巣鴨プリズンの中で彼らに剣道の試合を見せた、というショッキングな内容である。

 この件に関しては、様々手を尽くしたが裏が取れていないため、これまでどこにも報告してこなかったが、どこかに発信しなくては消えてしまう重要な歴史であるため、「聞き書き」という形でこの機会に記録にとどめておきたい。

 地福義彦先生は、大正3年(1914)11月4日生まれで、現在満96歳(面談当時満94歳)である。警視庁で助教をされるなど剣道の専門家としての道を歩んでこられ、昭和の剣聖といわれた持田 盛二(もちだ もりじ)先生の愛弟子であり、剣道復活後の第2回全日本剣道選手権大会に出場するなど、剣の腕前では相当に名の知られた方である。

 お話を伺ったのは、平成21年3月6日、先生が師範をされるエーザイ剣道部の稽古後の席でのことである。

 以下、お話を伺った当日の筆者の記録である。

 巣鴨刑務所に行けと言われて防具を担いで行ったらMPがいて、中に入れと言われた。中にカマボコ兵舎があって、兵舎の中はきれいな板張りになっていた。そこには刑の執行を間近にひかえたA級戦犯の人たちが、向こうに東条英機ほか十数名いたと思う。その前で別の警察機関から呼ばれてきた人と剣道の試合をした。彼らが絞首刑になる前に剣道の試合が見たいとGHQに所望したためだという。試合は小手をとって地福先生が勝った。試合の後、東条英機とは握手をしてもらった。

 戦後、日本がアメリカを中心とした連合国軍の占領下におかれ、剣道がGHQの民間情報教育局(CIE)の指示のもと禁止されていた時代のことである。通常では考えられない、驚くべき、知られざる昭和剣道史といえよう。

 あまりに生々しい話であり、このことに関する解釈は難しいが、彼らが見たかったものは打った打たれたの競技としての剣道ではなかったはずである。剣道には、古来日本人が神聖なる刀剣により身を処してきた思想が根強く潜在している。彼らは剣道に触れることで心を整理したかったと考えるべきであろう。極刑に処せられた人たちは、剣道によってそこに日本古来の武士道を確認し、自尊心、平常心を保ちつつ最期を迎えたのかもしれない。

 詳細に検証をした上でオフィシャルな歴史として是非とも留めておきたい事柄であるが、このことに関しては情報があまりに少なすぎる。読者諸賢でお持ちの情報があればお寄せいただけると有り難い。