草薙剣(くさなぎのつるぎ)
1. はじめに
前回は三種の神器についてお話ししましたが、これは武力を生業とする武士たちにとってまさに精神的支柱とでもいうべきもので、特にその一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)は歴史の渦に巻き込まれながら、その神聖性がさらに強く認識されるようになっていきました。これが近世剣術、そして現代剣道にも影響を与えていきます。
今回はこの草薙剣の話です。
草薙剣は、後にお話しする韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)とならんで日本の二大霊剣ともいえるもので、伝統的に刀剣を神聖なものとしてみるような考え方は、この二つの霊剣を雛形としているようなところが多分にあります。
そして大もととなる草薙剣や韴霊剣の神聖性は、古代神話の中で語られてきたイメージによって私たちの心の中に根付いています。
2. 大蛇退治
草薙剣が日本神話の中で初めて登場するのは、スサノヲノミコトの大蛇退治の一節においてです。この時点で正確にはこの剣のことを天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といいます。
(この日本神話は、よく中国の書物である『史記』に記されている高祖(こうそ)が蛇を斬った話とよく似ていることから、しばしば比較されます。しかし、詳しく書く余裕をもちませんが、ストーリーの型としてはよく似ているのですが、物語にこめられたモチーフはかなり違います)。
どういった話であったかというと、スサノヲノミコトは、出雲(いずも)の国の肥(ひ)の川の上流で泣き悲しむ老夫婦に出会います。わけを聞くと、ヤマタノオロチという頭が八つもある大蛇が毎年来て娘をさらっていくといいます。今年もそろそろやって来て娘を連れて行くというのです。スサノヲは娘を助ける約束をします。強い酒を用意しておいて、大蛇がそれを飲んで酔った隙に持っていた十拳剣(とつかのつるぎ)でズタズタに切り殺してしまいました。(この十拳剣というのは、十握剣とも書き、握(にぎ)り拳(こぶし)十個分の長さがある剣のことで、こういった名前の固有名詞をもつ剣があるわけではありません)。そして大蛇の尾を割くとそこには立派な剣があったということです。この剣が後の三種の神器、草薙剣ということになります。この大蛇のいるところ常に雲が漂っていたことから、この時点では天叢雲剣といったわけです。
スサノヲはこの剣を「普通ではない神々しい剣」といって、天上界の天照大神(あまてらすおおみかみ)に献上した。というのがこの神話の大よそです。
この神話で面白いところは、悪者である大蛇を斬った剣よりも、そこから出てきた剣のほうが重視されて後世有名になっているということです。
神話の解釈には色々あるのですが、このヤマタノヲロチという大蛇は、日本古来の農耕生活に根ざした水の精霊と考えてよいでしょう。そしてこういたった精霊に生にえを捧げる習慣があったのかもしれません。つまり、古い信仰の表れとも考えられます。
しかしこれが斬り殺されて、その体内から顕れた新たな霊剣が天上界の神に捧げられ、後には神社のご神体として信仰の対象ともなっていく。これは一体なにを意味するのでしょうか。
弥生時代初期に中国大陸から、未だ文化的に未成熟な日本列島に、はるか高度な金属文化が伝わってきます。当初、刀剣(特に剣)は実用の道具としてではなく、むしろ信仰として根付いていきます。
つまりこの神話は、金属文化が到来した一種のカルチャーショックから人々の信仰が変化した。そしてその信仰の中に剣が深くかかわっていくようになったことを語っているのではないでしょうか。スサノヲが大蛇を斬るという行為は、古い信仰を断ち斬ることを意味しており、そこから新たに霊剣が得られたことは日本の剣に対する信仰がここから展開していったことを表しているのではないかと私は考えています。
そしてこの神話でもう一つ重要なことはスサノヲがこの霊剣を高天原(たかまがはら)にいる天照大神に献上したということです。
日本神話は、基本的に天上界と下界の垂直方向に位置する二つの世界を中心に話が展開します。(この下に黄泉国(よみのくに)という死者の世界がありますが、ここでは考えなくてよいでしょう)。
高天原は天上界であり、出雲の国はもちろん下界です。下界から天上界にこの剣は上って行ったということです。ここでは特にこのことに注目しておきたいと思います。
3. 天孫降臨(てんそんこうりん)
この霊剣が次に重要な役割を担って登場するのは、天孫降臨神話においてです。
これはどういった話かというと高天原の主宰者である天照大神は、自分の子孫を下界に下してこれを統治させようとします。そこで下界に派遣されたのがニニギノミコトという神様です。この神様は天孫(てんそん)といい、また天皇家の祖先として神話上は位置づけられています。これがいわゆる〝天孫降臨〟です。
このとき天照大神は鏡と剣と勾玉の三つの宝をニニギノミコトに持たせます。この三つの宝が三種の神器であるというのが、三種の神器の神話上の由来です。繰り返しになりますが、このうちの一つが天叢雲剣のちの草薙剣ということです。
いかにも政治的な匂いのする神話です。現在残されている『古事記』や『日本書紀』に記されている神話は、元来口づてに語り継がれてきたものが朝廷によって編纂されたもので、必然的にそこから政治色を完全に取り払って読むことはできません。その中でも天孫降臨神話は、特に政治的な意図が強く感じられるものです。
逆にここから政治色を積極的に読み込んで行くのも面白いのですが、話の方向がずれてしまうので止めておきましょう。ここでは今回の主題である草薙剣(天叢雲剣)にのみ視線を合わせてみます。
私たちがここで注目しておきたいのは、大蛇退治のときスサノヲによって下界から天上界に上げられた天叢雲剣が、天孫降臨で三種の神器として再び下界に下りてきていることです。
神話も国土創成や神生み神話のような初期の段階では、神々も頻繁に天上と下界を行き来して、その境界が比較的曖昧というかその距離が近かったのですが、これが歴史時代に近い話に進むにつれて境界がはっきりし距離も遠くなります。つまり神々と人がはっきりと住み分けをしはじめるわけです。
そんな中でもこの剣は天上と下界を行き来できているところに特徴があり、またそれがこの霊剣の霊剣たるゆえんで、このあたりにこの剣の神聖さがイメージされているといえるでしょう。
4. ヤマトタケルの東征
この霊剣を語るのに欠かせないのが、ヤマトタケルの東征です。
どういった話であったかという前に、少し補足しておく必要があります。天孫降臨以後、三種の神器の一つである草薙剣は、天皇の位の象徴ですから天皇家に伝えられるものなのですが、天皇自身これと一緒の場所に生活することは畏れ多いということで、模造品を作ってこれを身近におき、本物は今の伊勢神宮に安置してヤマトヒメに祭らせるようになったと伝えられています。
さて本題のヤマトタケルの東征ですが、ヤマトタケルは東方の賊を征伐しに行くのに先立って、伊勢神宮のヤマトヒメのもとを訪ねて草薙剣を授かります。その後、東征の最中、賊にだまされたヤマトタケルは野で火を放たれて絶体絶命の状況に追い込まれますが、一説によるとこの霊剣がひとりでに抜けて草を薙(な)ぎ払ったことによって火を防ぎヤマトタケルを助けたというものです。
それ故に草薙剣というわけです。ですからこの東征以前にこの霊剣をさす場合は、正確には大蛇退治以来の天叢雲剣とするのが正しいかと思います。
しかし、ヤマトタケルはなぜかこの霊剣をミヤズヒメの許に置いたまま伊吹山の神を退治しに行くのですが、果たせず死んでしまいます。そしてミヤズヒメがこの霊剣を祭ったのが今の熱田神宮です。以後この社のご神体、つまり神様の象徴となるわけです。
5. おわりに
今更ここでまとめるまでもなく、私たちの遠い祖先以来心の中に潜んできた、草薙剣にまつわる神話的なイメージを感じていただけたのではないでしょうか。
強いてこの霊剣草薙の神聖性をいうのであれば、古代神話の中で形作られてきた、天上と地上(下界)を結ぶイメージであるといえるでしょう。
だからこそ(下界にいる)人々にとって(天上にいる)神の象徴ともなれる、ということです。