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刀剣の思想

身体・心・剣—精神文化の入口

1. はじめに

 現在私たちが行っている剣道において、人々を引き付けている文化性のほとんどは、近世つまり江戸時代の剣術のものです。ちなみにこの時期、「道」という語をつけて剣の技術を言うことはほとんどありませんでした。近代にはいりその文化性を認識するに至って、「道」を言いはじめたということです。
 「文明」が主に物質に対して使われる言葉であるのに対して、「文化」は物質と精神の両方に対して使われる言葉です。剣道の文化性といった場合、その特徴の一つは、精神文化にあるといってもいいのかもしれません。
 近世剣術において「刀剣の思想」は、その精神文化を形成するのに大きくかかわってきました。
 これから皆さんと一緒に剣道の文化性の一端を解き明かしていきたいと思います。

2. 身体の主体としての心

 心の動揺によって身体が動かなくなった経験は、誰もがもっていることでしょう。現在の剣道においても、驚・懼(恐)・疑・惑などという心の状態を戒める教え(四戒・四病)がありますが、心の問題は現在においても非常に重要です。
 しかし、本来剣術は、現代剣道とは大きく異なり、常に真剣勝負、つまり生死の境を前提としていました。刀(真剣)をもって構えてみると身震いがするほどの威圧感を肌で感じますが、これを持ってお互いに命を懸けて戦うとなると、心のあり方がさらに大きな問題になってくることは容易に予想がつきます。
 近世剣術では、心を身体(行為)の主体と考えていました。つまり、良くも悪くも身体は心の影響を多分に受けるものであり、身体を操っているものは心である、と考えたわけです。
 一刀流の夏目次郎右衛門が寛政元年(1989)に著した『剣術口伝書』には「人の一身の主は心」であると明記されていますし、前回取り扱った新陰流の柳生宗矩が記した『兵法家伝書』などは、このことをしつこいぐらいに力説します。また、示現流の伝書などにも同様の言説がみられ、こういった考え方は当時の剣術界においては特殊なことではなかったようです。それどころか身体を司る心の問題は、彼らに共通して解決すべき最重要課題であったといえます。
 剣術(剣道)の特徴が精神性にあるとよくいわれるのは、このあたりが出発点ではないかと思われます。

3. 我も斬り彼も斬る剣

 では、この問題をどのようにして解決したのでしょうか。
 このことを端的に記しているものとして、天明元年(1781)に示現流の久保七兵衛紀之英が著した『示現流聞書喫緊録』には、「太刀は敵を斬り殺すものであるが、敵を殺すより先に自分の心の中にある三毒を殺して、心を強明正光にしてから太刀をとり、敵を殺しなさい」
といった内容の記述がされています。
 この場合の「三毒」というのは、仏教でいう煩悩のことで、具体的には貪(むさぼること、欲深いこと)・嗔(怒り)・痴(おろかなこと)のことですが、一般的には邪念・雑念といった程度に理解してよいでしょう。
 つまり、刀(太刀)をもって斬るべき対象は、もちろん対峙する敵ですが、それ以前に自分の内面にある邪念であり、これを斬らなくてはならないということです。
 同様の意味をもつものとして、新当流の所作で「冤剣」というものがあります。具体的には、構えた状態から太刀を胸の前に立て、右手首を返して刃を自分の方に向ける動作をいい、自己の内にある穢れを斬るという意味があるようです。自分の中をきれいにしてから敵に向かうのだといいます。
 つまりいずれの場合も、刀剣をもって斬るべき対象は内と外の二方向に設定されています。
 身体の主体は心ですから、心の問題を処理してからでなくては理想的な技術は発揮できないからです。
 ここには「我も斬り彼も斬る」とでもいった技術観があります。
 片刃のものを「刀」といい両刃のものを「剣」といって、古来特に「剣」を神聖なものとしてきたことは前回お話ししました。
 ここまでのことは、「刀」か「剣」かといえば、(示現流伝書には「太刀」と記され、新当流の所作で実際に使用されていたのは刀(太刀)であることからして、)表面的には「刀」の話でした。しかしより深く、観念的には「剣」の思想です。それ故に新当流では刀を使いながら「冤剣」といったのですが、このことをよく表している記述として『武士訓』をあげておきましょう。この文献は、井沢蟠竜が正徳五年(1715)に記したものです。

 霊剣は決断を表し給ふ。至剛無欲にかたどりて。内に私欲奸侫の心敵を滅し。外に邪悪暴逆の賊徒を誅し。…

 この記述は後に新当流関係の伝書などに引用されるなど、非常に重要な一文ですが、「霊剣」つまり神聖なる剣は、自己の内にある邪念・雑念を斬り払い、また外の敵をも討ち取るものである旨が記されています。明らかに「剣」の観念を前提とした技術です。
 「刀」を使いながら観念的には「剣」の思想にもとづいている。「刀」の技術は「剣」の思想を拠りどころとしているとでも言いましょうか。
 観念的には諸刃であることが非常に大切です。つまり、刃が相手と自分を向いている、その形態の象徴性が重要であって、剣は外敵はもちろんのこと自己の内面をも斬ることの出来るものでした。非常に困難ではあるが解決すべき最重要課題であった心の問題を処理してくれるものであったということです。
 剣は我も斬り彼も斬るものであった、ということです。

4. 心の象徴としての剣

 とはいっても外敵は物質的に斬ることができますが、斬るべき相手の一つは自己の内にある心であり、実際に斬るわけにはいきません。観念的に斬るということであり普通の技術では不可能です。この解決方法を近世剣術では、神聖なる剣のイメージに求めていたわけです。
 このことをよく言い得ているものとして、松浦静山が著した『剣攷』があります。
剣は内に有て利剣と云ふ。神仏の剣を持給ふは、人を殺すに有らず。心の邪気を切払つて、悪念を亡し給ふ剣也。是を心の利剣と云ふ。
 ここでも、心の中にある邪念(邪気・悪念)を斬り払うことを説いているのですが、これを斬るものも「心の利剣」つまり心であるというのです。
 心を斬り得るものは心でしかない。この心は人々の意識の中にあるもので、普通、把握しにくいものですが、これを「利剣」といって表現しています。つまり、ここで「剣」は、心を表す象徴として機能しているということです。
 「剣」を心の象徴として捉えるような考え方は、新陰流に多くの影響を与えたといわれる沢庵宗彭が記した『太阿記』などからも読み取ることができます。
 捉えどころのない心というものを、剣を特に神聖視する「剣」の思想を拠りどころにしながら、象徴的に把握しようとする技術観がここにはあるといえるでしょう。

5. まとめ

 松浦静山『剣攷』の一文で心を表す剣が「神仏の剣」とされていることは、非常に面白い点です。剣のもつイメージの根拠を神仏に求める考え方ですが、日本の刀剣の思想においてこういった観念は非常に重要な部分です。これについては、後に述べさせていただきます。
 今回皆さんと一緒に確認できたことは、心が身体の技術を支配していたこと、そのために敵を斬る技術には同時に自分の内面にある悪しき心を切り払う技術が伴っていたこと、心を治めるのはこれも心であったこと、そして重要なことは一連の技術は「剣」のもつイメージによって成り立っていて「剣」の思想が根本にあったこと、以上です。
 「身体」と「心」の関係に「剣」の観念が大きく関与した例であり、ここに剣道の運動文化としての一つの芽生えがみられます。
今回取り扱った話題は、いずれも敵と対峙したときの技術に関わる精神性(心)の問題でした。これは剣術における精神性の入口ともいえるかもしれません。意外にもこれがこの先、奇妙な展開を見せることになります。