精神性の展開とその背景
1. はじめに
技術に精神の問題が伴うのは、身体運動において別に珍しい考え方ではなく、武道に特有のものでもありません。
西洋文化の場合、技術を精神と別々に処理して行こうとするのですが、日本の武道の場合これを同時に解決して行こうとします。これを〝身心一如(しんしんいちにょ)〟などといいますが、武道のひとつの特徴と考えてよいでしょう。
〝身心一如〟というのは、身体と心を同じものとしてみるということではありません。前回の話で既におわかりのように、身体と心を別々のものとしてしっかりと区別する思考は前提としてあるのですが、その密接な関係を重視して、総じて治めていくことをいいます。それ故に「身心が一の如(ごと)く」、ということになります。
この〝身心一如〟の言葉が表す解決方法を剣のイメージによって果たそうとしていた、というのが前回の話ですが、これが武道の一つである剣道(剣術)の特徴のひとつといえるでしょう。
しかしここまでのことは、身心の関係の捉え方に違いはあるものの、大きく考えると他の運動文化も抱える問題の範囲内といえるかもしれません。これが日本の剣術の場合、一般的には奇妙にみえる展開をたどります。このことが今回の話題です。
2. 倫理道徳的精神性への移行
ではその奇妙な展開とはどういったことなのか、前回も取り扱った『示現流聞書(じげんりゅうききがき)喫緊録(きっきんろく)』の一節に注目してみましょう。
「当流派を修行する者は、心の利剣をもって、きわめて短い間でさえも貪(とん)(むさぼること、欲深いこと)・嗔(じん)(怒り)・痴(ち)(おろかなこと)の三毒(さんどく)を胸の中に宿すことなく、それを切断している」といった内容の記述があります。
これに似たフレーズは前回にも取り上げました。しかし前回の場合は、理想的でない心の状態、つまり三毒(さんどく)を〝心の利剣〟で斬り払うのはあくまでも敵を斬るためでした。しかし次にあげるように、これに続く部分はニュアンスが違ってきます。
「これは日常の発言や行動に通じる。善いことをしてそれを人が知らなくても憂(うれ)いてはいけない。憂いが過ぎれば貪欲(どんよく)となる。芸を習って人より上手くなれないからといって悔(く)いてはいけない。悔いが過ぎれば嗔怒(しんど)になる。貧乏であっても嘆(なげ)いてはいけない。愚痴(ぐち)となる。学問をし知識を得て行いを正しくし、礼儀を軽んじてはいけない。自分に敵対する者を打ち倒す剣術よりも、自分の身体を司(つかさど)る本心に害を与える三毒(さんどく)を切断する義剣の術を学びなさい」といった内容が記されています。
技術の問題をはなれて、かなり心、精神の問題に集約されてきています。そしてその精神ももはや敵と斬り合いをするときの心の持ち方ではなく、人としていかに立派であるか、その精神を問題としているのであって、命をかけた非日常的な場面ではなく日常生活でのいわば倫理道徳的精神性を問題としており、この心を実現するのが〝心の利剣〟である、としているわけです。
武士たるものいかに生きるべきかということが主題であり、当時理想的な武士像というものは儒教思想に裏付けられて既に形成されていました。これについては話がそれるため別に譲りますが、その理想的な武士のあり方を実現するのが刀剣であるという思想がここには窺えます。
3. 武士の象徴としての刀剣
中世においては「弓矢執(と)る身」などといって弓をもって武士を表現していたこともありましたが、近世においては刀剣が武士の象徴でした。
宮本武蔵が天保二年(1645)に著した『五輪書』に記されている次の一文は、このことを端的に表しています。
武士たるものの此両腰を持つ事、こまかに書著はすに及ばず。
我朝におゐて、しるもしらぬも腰におぶ事、武士の道也。
武士たる者が腰に両刀をさすことなどはいまさら書くほどのことでもないが、
我が国では知るも知らぬも刀をさすことは武士の道である。
また、理方一流(りかたいちりゅう)の伝書『理方童子教(りかたどうじきょう)』には、「武士の子は、守刀の徳によって成長し武士と呼ばれるようになる。侍の子も刀をさしていなければ侍とはいわず、刀の徳によってはじめて侍であることを心得なさい」という内容が記されています。
武士は、その象徴である刀剣の徳によって身を処し、(理想的な)武士になっていくということです。
ここで彼らに求められているものは、戦闘員としての強さではなく、刀の徳による人間形成ですから、やはり人として、武士としていかに立派であるかということです。
いずれにせよ、日常における倫理道徳の実現に、刀剣の思想がかかわっているということです。
4. 治国の象徴としての刀剣
敵と立ち合った時におこる驚きや恐れ、疑いや戸惑いなどといった心を解決していこうとする努力は、剣の技術を修行する者にとってごく自然なことに思えるのですが、この心の問題が日常の倫理道徳的な心、つまりモラルの問題にすり替えられている。表面的には、実に奇妙としかいいようのない現象です。
しかし、こういった傾向はここにあげた史料に特有のものではなく、近世の剣術に一般的な傾向です。
ではなぜこういった展開をたどったのでしょうか。
近世の剣術は、建前としては敵を斬るという実用性をもちながらも、実際には近世(江戸時代)という時代の大半が平和な時代であり、武士といえども一生のうちに刀を抜く機会がなかった人も多かったでしょう。
そんな時代に武力を生業(なりわい)とする人間のあるべき姿はというと、人を殺す技術に長けた単なる乱暴者であったなら、人からは敬遠されるでしょうし、まして世の中を治めていくことなど出来ません。
武士は、鎌倉幕府が成立して以来七百年近くも国を治めてきた、いわば人の上に立つことを求められたエリートです。当然単なる乱暴者では務まるはずもなく、必然的に人間性が求められるようになったということであり、武士の嗜みであった剣術にも自然とこういった価値観が入り込んできて、刀剣をもって日常における倫理道徳的精神性を実現していくような展開をたどったということです。
ですから、武術の世界において日常のモラルを実現することを求め、更にここに刀剣の思想が深く関与するという、一見奇妙にみえる展開の根本には、〝治国〟(国を治める)という観念が深く関係しているということです。
刀剣は、この治国をも象徴するものでした。このことは柳生宗矩(むねのり)が著した『兵法家伝書(へいほうかでんしょ)』に記される次の一節によく表れています。
乱たる世を治めむ為に、殺人刀を用て、
已治る時は、殺人刀即ち活人剣ならずや、
乱れた世を治めるために殺人刀(せつにんとう)を用い、
既に治まっているときには活人剣(かつにんけん)をもってする。
ここからは「刀」と「剣」、観念上の軽重の差を指摘することも出来ますが、取りあえずは刀剣が国を治めるもとのして捉えられていたことを確認するにとどめておきます。
5. まとめ
刀剣が国を治めるものとするような観念は、国を長きに亘って治めてきた武士の象徴であったからではありません。順序が逆です。後にみていくことになるかと思いますが、刀剣(特に剣)は古来治国の象徴でした。これが(国を治めるようになった)武士の象徴となり、武士の精神性を治めていくようになったということです。
『五輪書』に記される次の一節は、この順序を非常によく表しています。
太刀の徳よりして世を納め、身を納むる事なれば、
太刀は兵法のおこる所也。
太刀の徳により世を納め、また身を納めることが出来るのであるから、
太刀は兵法の根本である。
精神性の展開とその背景についてみてきましたが、重要なことは剣術において精神性の問題が倫理道徳的なものに、つまり日常的なものへ転化していったということであり、これに刀剣の思想が深くかかわっていたということです。現代剣道において人間形成をいうのも、この流れを汲んでいるからです。このあたりは、比較的現代剣道とダイレクトにかかわってくる、表面に表れた「刀剣の思想」といえるかもしれません。