剣による呪術(じゅじゅつ)
1. はじめに
前回までの話は、敵に向かったときの心の問題と、そこから展開した道徳にかかわるような精神性についての話でした。これが刀剣の思想と深くかかわっていたというもので、比較的現在私たちが行っている剣道に当てはめて考えやすい事柄であったと思います。
今回の話題は、現代的感覚に慣らされた私たちにとっては、信じがたい、少しうさんくさい話です。
それは、剣術における〝呪術(じゅじゅつ)〟についてです。
〝呪術〟 英語になおすと magic art つまり「魔法の技術」とでもいいましょうか。
子供の頃、アニメをみながら、あんなふうに魔法が使えたらいいな、などと思いをめぐらせたものですが、どうも大人になるとそういった(非科学的な)ことは考えなくなってしまいます。
しかし、当時の剣術家はもっと発想が自由であったし、何より必死であった。事実、近世剣術の世界に呪術は存在していました。
2. 辟邪(へきじゃ)の呪術
ここで話題にしようとしていることは、現代的に考えれば奇異にみえることは確かです。しかし、現在、私たちも神頼みはしますし、強い望みがあれば念じることもあります。その方向の先に呪術があると考えることもできるわけです。
どうしても勝てそうにない。どうしようもない不安がつきまとう。しかし戦わなくてはならない。とすればこの先には死がまつのみか。といった状況であったなら、(乱世はそういった時代であったかもしれません)私なら藁をもすがる思いで呪術、妖術を求めたかもしれません。もしそれが存在するのであれば。
時代的にはかなり遡りますが、きっと陰陽師(おんようじ)の安倍晴明(あべのせいめい)は実在したのでしょう。
現代的感覚からすれば、いかにもナンセンスではあります。しかし、死と背中合わせのような状況にあっては、こういったことはありえたのではないでしょうか。私は何も神秘主義者ではないのですが、実際に似たようなことはあったと思っています。人間の営みは合理的に理解できる部分ばかりではないようです。何より、研究レベルでは史料的にこれは立証できます。
ここでは簡単に説明する余裕しかもちませんが、私はこれを「辟邪(へきじゃ)の呪術」といっています。つまり、邪悪なものを辟(さ)ける魔法の技術のことです。
塚原卜伝(つかはらぼくでん)は剣豪としてはあまりに有名でありますが、彼が創始したのが新当流(しんとうりゅう)です。この由緒ある流派に辟邪の呪術のことが確かに伝えられています。新当流に伝わる必殺技です。
大月関平(おおつきせきへい)が天保十三年(1842)に著した新当流の伝書『兵法自観照(へいほうじかんしょう)』には、この必殺技である辟邪の呪術が「霊剣呪振乃太刀(みたまつるぎまじふるのたち)」として記されています。
字を見ただけでおどろおどろしい感は否めませんが、この「霊剣呪振乃太刀」を説明して、「この術は邪悪なものを払うものであり、こういった呪(のろ)いの術はここに居ながらにして相手を制することを意味していて、刃を血で汚すことなく邪悪を払うものである」といった内容のことが述べられています。明らかに、刀でもって実際の敵を斬る技術とは別の、邪悪を辟(さ)ける魔法の技術が存在していたことがわかります。
しかし残念なことに、具体的な内容としては、呪文のような言葉によるものと、剣を振るうという動作によるものがあったことが記されているのみで、詳細についてはよくわからなくなってしまったというのが実状です。
ちなみに現在、鹿島神宮などで演武されているものは、最近になって『兵法自観照』の記述から復元したものだということです。
実際の技の道統が途絶えてしまったことは残念ですが、徹底した秘密主義をしく近世の剣術流派にあって、かなりの奥伝に近いものが文章として残されていたということは奇跡的でもあります。
ここで私たちにとって大切なことは、近世剣術の中に辟邪の呪術が存在していたという事実です。
3. 呪術における剣
この辟邪の呪術に剣が重要な役割を果たしていました。
呪術で剣が使われるというのは古くからいわれることで、既に『古事記』や『日本書紀』に記されている古代神話にもそういったことが語られています。
『兵法自観照』の中でも、古代神話の「黄泉国(よみのくに)」の一節をとり込んで、剣を使う呪術について記しています。
そもそも「黄泉国」神話というのは、簡単にいうと、イザナギの神とイザナミの神は天地を創造し様々な神々を産むのですが、火の神を産んだことによってイザナミは命を落とし、死者の国である黄泉国に行ってしまいます。イザナギはそれを追って黄泉国に行くのですが、そこは蛆がたかり膿が流れる不浄の場であり、恐れをなしたイザナギは逃げ帰る際に剣を振るう呪術を使ったという神話です。
『兵法自観照』には、「剣を振る呪術の起源は、イザナギの神がイザナミの神のいる黄泉国から逃げ帰る時、追ってくる雷神を剣を振って追い払った呪術にある」といった内容のことが記されています。
つまり剣は、古くから呪術の道具、魔法を使うための道具だったということです。これが近世の剣術にまで伝えられていた。
では〝なぜ剣は魔法の道具になりえたのか?〟ということが気になってきます。
次の一文は、このことを端的に説明しています。
夫霊剣呪振の大刀と申は、即武甕槌太神の韴霊剣御事を奉申也
霊剣呪振(みたまつるぎまじふる)の大刀(たち)というのは、
すなわちタケミカヅチの神のもつ韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)のことをいう。
〝なぜ剣は魔法の道具になりえたのか?〟という疑問に対する答えは、簡単にいえば〝神様の剣だから〟ということになるでしょう。
後に詳しくみていくことになりますが、神々は神話の中で、自分のもつ剣で様々な偉業を成し遂げてきました。特にタケミカヅチは武の神様で、彼のもつ韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)で奇跡を引き起こしてきました。
近世剣術(新当流)の呪術では、神様のもつ剣(それだからこそ神聖とされる剣)と、自分のもつ刀は観念的に一体になります。だからこそ、神様のような魔術が使える。そういった思考形態です。
そんなバカな、という声が聞えてきそうですが、実際にそういった思考を支えに呪術活動が行われていたのでしょう。また、そう思い込める人が常人には考えもつかない必殺技を編み出し、剣豪と呼ばれたのではないでしょうか。彼らの技術は、まさに神懸り的であったということです。
4. 山伏(やまぶし)の呪術と剣
こういった思考形態は、私たちにとっては不思議に感じられますが、当時は珍しいことではなかったようです。このことをよく表しているのが山伏の思想です。
天流(てんりゅう)を創始した斎藤伝鬼房(さいとうでんきぼう)が山伏から剣を教わったという逸話が伝えられるなど、剣術と山伏の関係は深いものがありました。
山伏は山で厳しい修行をし、そこで身に着けた能力によって憑(つ)きものを落したりといったような呪術的な活動をします。
彼らが主に崇拝するのは不動明王(ふどうみょうおう)ですが、この仏は本来外敵や内にある煩悩を打ち倒そうとする働きをもつものです。こういった働きを「調伏(ちょうぶく)」などといいますが、不動明王は自らもっている智慧(ちえ)の剣をもってこの機能を果たします。
一方、山伏は、不動明王の格好を真似ることによって不動明王と一体になり、この仏のもっている「調伏」の機能を自分のものにしようとします。彼らは柴打(しばうち)という刀をもっていますが、この刀と不動明王のもつ智慧の剣を一体のものとして観念するわけです。そうすることによって不動明王の働きをかりて実際に呪術活動ができるという考え方です。
山伏の思想は正確には修験道(しゅげんどう)といって、日本古来の神道と密教が融合した、いわゆる神仏習合の最たるものです。そのために神と仏のすり替えがみられるものの、剣術での呪術と同種の感覚であることは確かであり、近世剣術が山伏の思想から影響を受けたということも考えられるでしょう。
5. まとめ
こうやってみてきますと、山伏はもちろんですが、近世の剣術家もある種のシャーマンであったのかもしれません。そして彼らの使う刀は神々の剣と観念的に同じであり、それゆえに魔法の道具であったということです。
かなりうさんくさい話でしたが、あり得たのではないでしょうか。