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刀剣の思想

プロローグ2

1.「剣」の「道」

 「剣の理法の修錬による人間形成の道」
 全日本剣道連盟が定める剣道の理念ですが、実はこの一文に現代剣道に潜む「刀剣の思想」が表れています。

1.「剣」と「刀」

 一般によく「刀剣」という言葉を使いますが、これは総合名称で、「刀」と「剣」は違います。
 片刃のものを「刀」といい、両方に刃のついているものを「剣」といいます。また「刀」のうち平安中期以降の反りのあるいわゆる日本刀を「太刀」と記し、古く用いられた直刀を「大刀」と書いて区別します。いずれも読み方は「たち」です。
 武器としては長く「刀」が主流であり、古来これを貴いものとする思想があります。
 一方、「剣」は実用の武器ということではなく、日本でははじめから信仰や宗教の世界で尊ばれてきました。神社のご神体として祀られている「剣」などがそれにあたります。自然、「刀」よりも「剣」がより神聖視されてきました。これを特に「剣の観念」といっています。
 このことは、日本の「刀剣の思想」最大の特徴です。
 ではこれを踏まえて、今の剣道を考えてみましょう。

2. 現代剣道にみる「剣」と「刀」

 現在の剣道は竹刀をもって行われています。しかし、今までに、「刀を使っているつもりで稽古しなさい」などとご指導を頂いたことが何回かあります。私以外にも、こういった経験をした人は多いでしょう。
 現代剣道において、刀を使うという観念は、確固として存在しています。それが「物打」や「刃筋」といった技術を規定する要素となり、〝形〟を重視する技術観を形成していると思います。
 しかし、剣道を修行する目的は、刀をもって人を斬る技術の習得ではなく、冒頭の一文にあるように「人間形成」であるとする。つまり、目的とするところの次元を、さらに高いところに設定しているということです。
 そしてさらに、これを「刀道」ではなく、「剣道」という。
 一見矛盾してみえますが、これは矛盾ではなく、象徴的な言葉の使い方で、「剣」を特に神聖視する「刀剣の思想」の表れです。

3. 近世剣術にみる「剣」と「刀」

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 現在の剣道の母体は、江戸時代に体系が整えられた、(刀を使う技術であるところの)剣術であることは言うまでもありませんが、現在でも刀を使う意識が重視されることからして、当時の剣術における価値観が大きく影響していることは確かでしょう。
 近世を代表する剣術流派のひとつである新陰流の基本伝書に『兵法家伝書』というものがあります。柳生宗矩が寛永九年(1632)に著したもので、現代剣道にも多大な影響をあたえている名著です。
 次は、その一文です。
「一人の悪に依りて万人苦しむ事あり。しかるに、一人の悪をころして万人をいかす。是等誠に、人をころす刀は、人をいかすつるぎなるべきにや。」(傍点筆者)
 万人を苦しめる悪人を殺すことは万人を活かすことに繋がる、という有名な活人剣思想を述べるものです。ここで柳生が力説するものは、殺人行為を、万人を救うというより高次の目的を前面に打ち立てることによって正当化しようとする論理です。この理屈の是非はともかくとして、注意しておきたいのが、人を殺すものが「刀」であり、それに対して人を活かすものが「剣」であるということです。「剣」と「刀」、明らかに観念上軽重の差が確認できます。人を斬るという目前で繰り広げられる行為を象徴するものが「刀」で、高次の理想的目標を象徴するものが「剣」であるということです。

 現代剣道において、目前の技術は「刀」に象徴され、人間形成という高次の目標は「剣」によって象徴されるのには、こういった価値観が前提として存在していたということです。
 近世剣術の入り口に来ました。次回から、いよいよ本題です。