Budo World

切り返し

長尾  進(明治大学)
月刊『剣道日本』2011年1月号掲載、「常識にクエスチョン」シリーズ所収
『剣道日本』誌の許可を得てここに転載します

切り返しは
いつ頃からするようになったのでしょうか?
なぜ、「前四本、後五本」なのでしょうか?

 切り返しや掛かり稽古の原型は、北辰一刀流の「打ち込み」という稽古法に見て取れます。『千葉周作先生剣術名人法』(1884)には、「打ち込みとは、他流にはあまり無いことで、剣術の上達を望むものはこの打ち込みを欠いては達者の場に至ることは難しい。故に、当流(北辰一刀流)の初心者には一年余りも打ち込みばかりの稽古で、試合は禁じられていた。(中略)この打ち込みは、向こう(相手)の面へ左右より激しく小業で続け打ちに打ち込み、あるいは大きく面を真っ直ぐに打ち、あるいは胴の左右を打ちなどすることで、至極達者になるものである」(筆者意訳)と説明されており、「(元立ちは)ただ受けるばかりでは良くない。相手の隙をみて、折々に面を打ち、あるいは小手を打ち、互いに打ち込み合う心得で受けるべきである」と述べられていますが、今日でいうところの「切り返し」と「掛かり稽古」を合わせたような総合的・鍛錬的稽古法であったと思われ、相当に激しく苦しい稽古法ではなかったかと想像されます。
 さて、現在一般に広く行われている切り返しは、最初に正面を打ち、続いて前進しながら左右面4本(相手の左面→右面の順)を打ち、次いで後退しながら左右面5本(同)を打ち、さらに後退しながら間合をとり、再び正面を打ったのち、同様の左右面を繰り返し、最後に正面を打って終る、というのが一般的です。しかし、これは『剣道指導要領』や『剣道講習会資料』にも記してあるように、初心・初級の段階での一つの目安として示されているものです。錬度に応じて、繰り返しの回数を増やしたり、息の続くかぎり連続して左右面を打ったり、体当たりを入れたりする工夫が必要であることも、一方で示されています。
 高野佐三郎先生著『剣道』(1915)には、「切り返しを練習すべし」という項があり、「切り返しは剣道を学ぶものに欠くべからざる練習法なり。之によりて、前後左右の進退を軽捷にし、身体手脚の力量を増し、
其(その)動作を軽妙自在にし、気息を永くし、斬撃刺突を正確自在ならしめ、心気力の一致を致し、所謂(いわゆる)悪力あるものは悪力を去り、力足らざる者には力を増し、左右の腕力を平均に発達せしめて、表裏の撃方を均一にし、以てよく電光石火の妙技を施し、永く労苦困憊(こんぱい)にも堪(た)ふるの基礎を養ひ得(う)べし」とその効用が述べられています。また、その方法については「表裏の面を交互矢筈(やはず)掛けに、精神を込め一心不乱に体力気息の続く限り、少しの休みなく大きく早く、手脚を共にし心気力一致にして烈しく撃込むべし。腕疲れ息尽きたる時は、上段に振り冠り正面に両腕を延ばし、両足を進め‘面’と大声を発し充分に打込みて後、退きて休息すべし」とあります。すなわち、本来の切り返しは回数を決めて行なうものではなく、「一心不乱に体力気息の続く限り、腕が疲れ息が尽きるまで、心気力一致で打込む」ことにその意義があり、それによってはじめて、「労苦困憊」に堪えうる基礎が養われるというものです。
 ところが、武道(剣道)が近代において軍隊教育や学校体育の教科として採用されてゆくなかで、初心・初級者のための方法論として、あるいは団体教授法の一方法として、
予(あらかじ)め本数を決めての切り返しが行なわれるようになります。この連載で何回かとりあげている隈本実道著『武道教範』(1895)では「切り返し」について「基礎演習第一教 打込」という項に示してありますが、その方法は、相手の左面・右面の順に打込み、前進のみで7本目(左面)まで打込み(足は送り足ではなく、右・左と交互の歩み足)、その7本目の反動で大きく後ろへ下がる、とあります。また、受け手の受け方についても、詳細に定められています。おそらく、こうした初心・初級者同士で基礎練習を行うことを前提とした(団体)指導法が武道(剣道)の伝統的稽古法のなかに次第に採り入れられてゆくなかで、今日のような回数を設定しての切り返しも形成されていったものと思われます。
 なお、前出高野先生は『剣道』のなかでは交互矢筈掛けの方法を紹介しておられますが、ご自身の若いころの切り返しについては「私共の方の流儀(一刀流中西派)の切返しは、左右の面を交互に打つのではなく、一方を何遍か鋭く続けざまに打つかと見れば、又片方をぱんぱんと打って、両方数を決めるやうなことをしないで切返したものです。木刀で素面でやります。今のやうな一本一本両方から切返すのなら、目を
瞑(つぶ)って居(お)っても出来ます。さうでなくて此方(こっち)から三本、此方から四本とやると、余程しっかりしていないと怪我をする」と述べておられます(『武道宝鑑』1934年版)。木刀でのこうした稽古法は今日では実施は難しいかと思われますが、それでも切り返しという稽古法に込められた「表裏の撃方を均一にする(表からだけでなく、裏からの打撃も刃筋の立つようにする)」という意義や、「(元立ちの側も含めた)真剣味の養成」という観点からみれば、こうした稽古法も見直されてよいのではないかと考えます。