明治維新以後、明治4年(1871)の廃藩置県により幕府の下部行政組織であった藩がなくなり、それまで藩から給料をもらっていた武士は失業してしまう。徳川幕府の中では士・農・工・商という階級制度があったが、これがなくなり武芸…
講武所
江戸時代、徳川幕府は例外を除いて外国との交流を絶っていた。内戦もほとんどなく平和な時代が260年以上も続いた。そのことによって武芸は文化として成熟し、人間形成としての意味も含むようになり、また競技としても行われるように…
新流の台頭と江戸三大道場
しない打ち込み剣術は、流派をこえて大変に栄えた。 お互いに自由に打ち合うことができることから競争心をあおり、また面白みも多くなってくることから自然と盛り上がりをみせていった。 また剣道具をつけて行われるしない打ち込…
しない打ち込み剣術
近世中期までの剣術は、形による約束稽古であった。しかしこれがまさしく形だけのものになり、実戦性、実用性から遠ざかっていくのは自然の成り行きである。 当然のことながら志を高く持った人々はこれに疑問を感じていた。そこで登…
三十三間堂の通し矢競技
武術の中で最も早く競技化したのは弓術である。 江戸時代、藩対抗の一大イベントにまでなり異常なまでに盛り上がりをみせたものとして「三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)の通し矢競技」というものがある。 これは京都にある…
剣術三大源流とその系統
近世の武芸を主導したのは剣術であるが、剣術の流派には大きく三つの系統があった。 それぞれの系統の源流は、中世後期の剣豪である愛洲移香(あいすいこう)・飯篠長威斎(いいざさちょういさい)・中条兵庫頭(ちゅうじょうひょう…
流派の成立
武技に秀でた天才的人物が登場すると、その技術を教わろうとして必然的にその周囲に人が集まる。 武術には一つの大きな特徴がある。それは徹底した秘密主義をしいていたということである。自分の獲得した極意をめったには教えない。…
騎射の三物
中世日本の戦いは騎馬戦であり、馬にのって弓を射る騎射の技術が武術の中心であった。現在の弓道のように人が立った状態で弓を引くのではなく、馬を操作しながら弓を射る特殊な技術が必要であった。そのため当時の武士は独特な騎射の訓…
日本刀の出現
日本の武道史の中で特に注目すべきことの一つとして、日本刀の完成があげられる。 ここで一つ確認しておかなくてはならないことは、一般に「刀剣」とよく言われるが、刀と剣は形態が異なり別の物である。刀は片刃のものであり、剣は…