Budo World

武道に身心統合科学の可能性を探る ~嘉納治五郎の事績にならい、今をかんがえる~

Ⅵ.討 論

大保木:身心統合の問題は重要かつ難しい問題であるが、今回様々な内容が改めて理解でき、更に新たな問題点も明らかになったように思う。それは、寒川氏が指摘したように、嘉納は従来の武術における心の問題で難しい部分はとりあえず封印しておいて、いまの柔道の隆盛につながる流れを作っていった。それに対して山岡鉄舟は、その難しい部分に真っ向から取り組んだ稀有な人物であったが、時代の潮流にのることはできなかった。剣道は、戦後GHQの指示のもと禁止されたが、スポーツとしての性格を前面に出し民主的な運営をするということで昭和27年に復活をする。しかしこのことにより剣道は違った方向に進みはじめているという危機感から、昭和50年に剣道の理念というものが制定された。これは何かというと、鉄舟の剣道に対する考え方に戻ろうということであったように思う。鉄舟の考え方というのは、刀をもって互いに対した時の生き死ににかかわる心を問題にしている。この鉄舟の心の問題と、嘉納の心の問題には接点がない。寒川氏が指摘したように、不動智のようなことはわかっていたがそれを当面封印した嘉納の特性と、鉄舟の特性をどう考えたらよいかという問題が新たに生じたように感じる。
 もう一つ、武道で重要なことは、言葉だけの世界ではなく、実際に技が使えてはじめて納得できる部分が大きいはずである。このことを前提に、前林氏が指摘したような西洋的なパワーとは異なる日本的な力の観念をどう考えるか。つまり日本的な心技体の構造をどう考えるかということが今後の課題であろう。

村田:前林氏の発表の中で、技と心を磨くシステム化が図られていたということがあったが、これについてもう少し説明をしてもらいたい。

前林:江戸時代に入ってからの武道では、殺傷目的ということを超えて、勝ちの質や負けの質ということを重視していた。この質の追求というのは、悟り的な境地、つまり自我を捨てて広がった心、深まった心を求めるということである。その際、「お前の勝ちはダメだ」「負けたけれどもレベルの高い負けだった」ということを指摘し指導してくれる正師の存在が不可欠である。道元も、正師を求めろということを言っている。この師弟関係の中に技と心を磨くシステムが内在していたと考えられる。

村田:寒川氏の発表の中で、嘉納は不動智などのいわゆる心法的な問題を締め出したといった話があったが、では嘉納が不動智の代りに用意した心の問題とは何だったのか。

寒川:技術を心の問題として考えるようになったのは、世阿弥の『風姿花伝』あたりが日本では一番古いが、武道においては江戸時代に入ってからのことである。我われが一つ考えておかなくてはならないのが、例えば術から道へというようなことをよく言うが、この場合実はこの「術から道へ」という言葉の使い方の中に既に秩序関係が設定されているということである。つまり、術より道が上位に立つという前提がある。教育においても術の段階を人間形成の道の段階に高めないといけないというようなことを、我われは常識的に考えている。この常識が、いつごろから、どういう状況で、どういう思惑のもとに設定されたのかということを我われは考えなくてはならない。今までの研究者には、この視点が欠落している。江戸期の武術家が、はじめて禅の言葉をかりて技術を心の問題にスライドさせ一つの形を作り上げたのであるが、そういった成り立ちをしている初めのあり様を設定したのは何かというあたりにまで落とし込まないと、おそらくは身心論というものは議論しにくいのではないかと思われる。
 村田氏の質問内容である、本体や不動智の代りに嘉納が用意した心の問題とは何かということに話を移したい。先ず、江戸期の心の問題は二つに分けて考えられる。一つは儒教的な人間関係にかかわる倫理の問題としての心であり、もう一つは仏教、禅の世界で要求される心法の問題である。この二つは全く質が異なる。現在武道に求められているような、武道をすると礼儀正しくなるとか、お父さんを大切にするとかということは、社会の現実を前提にした人間関係にかかわる儒教的な倫理の問題である。しかし江戸期の武術では、それも一つにはあるのであるが、これとは別に相手をいかに上手に斬り殺すかという世界での心が要求された。これは儒教とは違った、禅的な心法の世界である。本体や不動智は、この禅的な心法に関するものである。嘉納は、社会をいかに改良するか、改善するかというところに関心をもっていた人であったため、彼が柔道の心の問題として一番重視したのは、江戸期の武士道と同じ儒教的な心であった。こういった倫理的な立場をセレクトしたことにより、彼は日本の近代社会の世界において受け入れられることができたのだろうと思う。

村田:永木氏の発表で、嘉納は武術時代の技術理論である「柔よく剛を制す」という柔の理を「精力善用」に読み替えたという内容があったが、’読み替えた’のか’包摂した’のか、これについてもう少し説明をしてもらいたい。

永木:「柔よく剛を制す」というのは、相手の力を利用して相手を制するということであるが、これには限界がある。つまり自分から攻撃する場合には、相手の力は利用しておらず、実際には自分から積極的に力を発揮する場合もある。これも含めた意味で「精力善用」と表現すれば、意味内容としてはパーフェクトになる。つまりこれは普遍性の追求であり、外国人に対しても分りやすいということになる。
 更にこういった技術論から、「善」の部分に道徳的な要素を加味して、生き方の問題にまで昇華させたところに嘉納の思想的な特徴がある。

村田:長尾氏の発表にあった、山岡鉄舟が行った剣道修行における動的な猛稽古と、静的な禅修行との関係をどう考えればよいか。

長尾:山岡鉄舟は、この部分を剣で鍛え、この部分を禅で鍛えるといったように分けては考えなかったのではないか。例えば鉄舟が香川善治郎にさせた三日間の立ち切り誓願のような荒稽古で得られるものと、禅で老師から公案をもらって生き死にをかけて座り、時には警策を振るわれつつ徹底的に鍛えられて得られるものとは同じではないか。方法論の違いだけであって、覚醒させる、目覚めさせると手法としては、動的な剣の修行も静的な禅修行も同じであると鉄舟は思っていたのではないか。

百鬼:非常に勉強になるが、武道関係者以外あるいは自然科学系の分野の研究者にとっては理解が困難な部分も多い。例えば、心法論について寒川氏と永木氏の間で若干の相違があるように見受けられるし、また心法という言葉を使うが、これは心のあり様といったレベルから道徳にかかわるものでまで幅があるので、その辺りを一般的に理解しやすいようにもう一度整理する必要があるのではないか。また、勝負で勝つための心のあり様がなぜ道徳的な心に繋がってくるのかといったことについても説明していく必要があるように思う。

寒川:心法という言葉であるが、心の問題がすべて心法ということではなく、これは仏教用語である。儒教においても、もちろん心の問題は扱うが、儒教と仏教では基本的な立場が違う。儒教の場合は、現に我われが生きている人間社会を前提にしているのに対して、仏教の場合はもっと重要なものとして人間関係から解放された個の魂の救済というところに思想的な根の部分がある。こういった違いから、仏教と儒教は、中国の古代から今日まで仲が悪い。通常、仏教の世界で要求される心のあり様を表現するために心法という言葉を使うというように理解されている。私の場合にもそういった意味での心法の語の使用である。嘉納の場合、私が今述べたような仏教的な意味での心法ということは彼の柔道体系論の中では見えてこない。むしろ彼はこれを封印したのだろうというふうに私は理解している。

永木:嘉納は心の世界を締め出して、捨て去ったかというと必ずしもそうではないと私は考えている。嘉納は後年、古武術の研究会を講道館の中に設置して古いものを再び研究し始める。このことからもわかるように、嘉納は近世の武術における心の世界を忘れ去っていたとか、見ないようにしていたということではないと思う。寒川氏の意見は、最初に近代的な枠組みをはめたから、そういう方向に向かうのに限界があったというニュアンスだと私は解釈しており、その意味では意見は一致する。嘉納は、しばらく手を付けなかったというのは事実としてあるが、古来の武術への思いは忘れてはいなかったというのが私の見解である。

百鬼:ここで一つ問題を提起しておきたいと思う。武道(budo)という言葉は世界中で使用されているが、この語は辞書には載っていない。我われが武道という言葉を訳すと martial arts というように訳す。また、ポーランドに武道に関するもので International Martial Arts and Combat Sports Scientific Society という学会があるが、この場合 martial arts と combat sports は分けて考えられている。そうすると、日本人が考えているmartial arts の概念と、ヨーロッパの人たちが考えているmartial arts の概念は本当に同じなのか。そういった問題を議論していく必要がある。武道(budo)の中に独自性を認めるということであれば、身心統合ということをキーワードとしながらこういった問題を明らかにしていく必要があるのではないか。

藤堂:武道において鍛錬すべき心とは、一つは人としての道であり、もう一つは戦いの場でいかに心を制御するかというような意味での心である。こういった心を身体を通して練り鍛えるところに日本の武道の特徴があるように感じる。

真田:「柔道一般ならびにその教育上の価値」と題する講演がなされた明治22年(1889)といえば、嘉納は学習院の教頭として大学改革に取り組んでいた最中であり、そういったことから考えると、社会との接点においていかに現実を変えていくかということに意識がいったのではないかということを感じた。また、「精力善用」「自他共栄」といったことは彼流の心法というようにも理解できるのではないか。

征矢:武道の精神鍛錬と現代スポーツにおけるトレーニングの関係を議論しつつ、ストレスに起因する鬱などの現代社会における諸問題に対してアプローチしていければと考える。