Budo World

武道に身心統合科学の可能性を探る ~嘉納治五郎の事績にならい、今をかんがえる~

Ⅳ.嘉納による柔道(武道)の国際化

永木耕介(兵庫教育大学)

 嘉納は、講道館柔道を創始した当初(明治15・1882年~)から、それが自国民の教育に役立つだけではなく、外国の人々が「世界に類のない巧妙なる修行であるというて嘆賞する」(講道館柔道講義,1899)ということを、おそらく知っていた。そして後に、嘉納は柔道の国際化を、日本と諸外国との「共栄」を理想とし、絶妙のバランス感覚によって展開していったのである。発表では、嘉納がいかにして柔道を、日本文化としての特性を保ちつつ世界へ普及していったのかについて、イギリス等の事例に触れつつ述べてみたい。その際、「柔道とは柔術のグローバル・スタンダードである」という視点を提示する。
 まず、嘉納は一貫して柔術を軽視してはいないという事実を指摘したい。当たり前のことのようであるが、江戸期に熟成された”柔術”の特性を活かすことが、柔道を日本の「伝統文化」として存続させることになるからである。柔術の特性とは、一言でいえば、「柔よく剛を制す」という方法原理とそれに則った「武術」、という点にある。そして嘉納は、この柔術の特性を、教育的観点から「スタンダード化」していく。スタンダード化は、まずは明治期の新たな国民教育に必要であるとの考えから為される。象徴的な出来事でいえば、大日本武徳会・柔術部門における「柔術試合審判規程」(明治32・1899年)、そして続く「柔術新形」(明治39・1904年)の制定で、嘉納は委員長を務め、柔術諸派を統合したことが挙げられる。このような統合を為し得たのはもちろん、嘉納がすでに、教育的観点から柔術に改良を加えた”柔道”を創っていたからである。
 そして、日本柔術を教育面からリードする嘉納/柔道の名は、世界各地に出向いていた柔術家達にも聞こえていく。種々の柔術(Jiu-jitsu)はすでに、1900年初頭には欧米を中心に流行しはじめていた。更に、国際オリンピック委員となった嘉納(明治42・1909年~)は、その活動と並行しながら、欧米各地で柔道の普及・宣伝に務め、大正期以降は自然に柔術に変わって”柔道”が浸透していくことになるのである。その過程で、嘉納は外国人にも理解可能な普遍性(すなわちグローバル・スタンダード)を追究し、「柔よく剛を制す」から「精力善用(心身の力を最も有効に使用する)」へと読み替える。ここで見落としてはならないのは、”心身の力”というように、嘉納は一貫して「身体」とともに「心」の領域を忘れてはいないことである。早くは「柔道一班並びに其教育上の価値」と題する講演(明治22・1889年)で嘉納は、体育(身体強化)、武術(真剣勝負)とともに「修心」を柔道/柔術の教育的価値としている。修心とは、知、徳、生活への応用力を包含する広い概念であるが、修心もまた、サムライの武術修行に因んだものであると説いている。そして嘉納は、精力善用の「善」を規定するものとして「自他共栄」という理想を掲げ、それら8文字が、柔道の指導原理として広く世界に定着していく。このように柔道(そして武道)は、”心身”でもって「より善い生き方」を探究するものであるということを、再認識したい。