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武道に身心統合科学の可能性を探る ~嘉納治五郎の事績にならい、今をかんがえる~

Ⅲ.嘉納の柔道にみる身心問題

寒川恒夫(早稲田大学)

 嘉納治五郎の柔道体系と、その身心観は、彼が明治22年におこなった講演「柔道一般ならびにその教育上の価値」の中に最もまとまった形で示されている。講演の中で嘉納は、柔道は一つの全体であるが、「柔道体育法」「柔道修心法」「柔道勝負法」によって構成されると説く。柔道勝負法は江戸時代の柔術つまり戦時と平時における殺傷捕縛術のことであり、柔道体育法は生理学的身体強化という体育目的に資するよう柔術を安全にしつらえたもの(今日ふつうに柔道といって思い浮かべるのは柔道体育法が競技化したもの)、柔道修心法は柔道の実践によって知育と徳育の実現をめざすものをいう。
 講演の中で嘉納は、柔道は伝来の柔術を母体にし、これを今日の社会に合うように改造したものと述べるが、注目したいのは、この近代的改造が他ならぬ教育の文脈でなされた点である。彼が用いる「体育」「知育」「徳育」は、当時の文部省がお雇い外国人であった学監マレーにならって日本の義務教育の原理とした三育主義のキータームであった。また、嘉納が三育主義によって柔道を構想するきっかけも、柔術と剣術の教材採否をめぐる文部省の諮問であった。武術を学校に導入すべしとする世上の声の高まりに対し、文部省は明治16年に導入の可否を体操伝習所に検討させる。翌17年の答申を受けて文部省が決したのは、「利とする所」5、「害もしくは不便とする所」9、総合して否であった。嘉納の柔道は文部省が害もしくは不便とする所とした9の条件を一つ一つクリアする形にしつらえられているのである。
 このように嘉納の柔道は柔術の学校教育化という展望のもとに創造されたものであったが(もちろん柔道勝負法は学校用でなく柔道の実戦性・武術性を担保するためであったが)、その背景の身心論は、柔道体育法を身(嘉納の理解では生理学的に確認される身体)、柔道修心法を心に対応させ、更に心を「観察」、「記臆」、「試験」、「想像」、「言語」、「大量」など独自の概念から成る「智力」と、「愛国」を内包とする「徳性」に分ける身心二元論であった。
 嘉納は彼の新しい柔道のために欧米伝来の三育的身心論を採用し、このことで柔道は西洋人にも理解可能な近代性を付与され、その後のグローバルな発展を保証されたが、そのことは他方で、柔術が最も重要な部分とした「心」の問題を切り捨てる結果を招来した。
 それは、嘉納が免許皆伝を受けた起倒流の「本体」理解に顕著である。起倒流の本体は禅僧の沢庵がいう「不動智」のことで、執着しない心を意味し、起倒流が修業の最終目標と定めたものであった。技術の学習・上達も本体への到達度をもって測られ、そのための特別な「請立ちの残る」稽古法が用意されていた。嘉納は講演の中で本体を起倒流の重要概念として一瞬語るものの、結局はこれを禅的心法の意味でなく、物理学的に安定した身体姿勢の意味に用いるのである。剣術など他の武術ではなお継承された「不動智」などの心法的心の問題は、嘉納の柔道体系では閉め出されている。