Budo World

戦後の武道

 日本は昭和16年(1941)から太平洋戦争に突入し、昭和20年(1945)敗戦により終戦をむかえる。その後、昭和27年(1952)まで、アメリカを中心とする連合国軍により占領下におかれる。
 軍事色を一掃するということから武道は全面的に禁止され、大日本武徳会は解散させられる。
特に剣道は、戦争に加担した部分が大きいとして厳しい対応がなされた。柔道や弓道は、連合国軍将校たちに愛好家が多かったことなどもあって比較的好意的にみられており、スムーズに復活を果たした。昭和24年には、全日本柔道連盟と日本弓道連盟が結成された。剣道は復活するのに相当苦労した。まずは剣道としてではなく「しない競技」として活動を再開する道をとった。「しない競技」とは、フェンシングなどを参考にしてルールや用具などを工夫し、スポーツ的なイメージを前面に出したものである。
「しない競技」とは以下のようなものであった。

  • 使用する「しない」は、従来の四つ割の竹刀ではなく、竹の先を細かく割り、それに布や革の袋をかぶせた「袋しない」を使用した。
  • 防具は軽装なものを使用する。
  • 稽古着・袴ではなくズボンとシャツを着る。
  • 競技は一定区間内で行う。
  • 競技は、一定の時間内に多く得点したものを勝ちとする時間制を採用する。
  • 反則を定め、反則を犯した者には罰則を加える。
  • 足がらみ、体当たりの禁止。
  • 三人の審判をおき、多数決で得点の採否を決める。

 こういった工夫をほどこした上で、先ず昭和25年(1950)に全日本しない撓競技連盟が結成され、次いで昭和27年(1952)に全日本剣道連盟が結成される。昭和29年(1954)に全日本撓競技連盟は全日本剣道連盟に吸収され消滅していく。
 その後、復活を果した日本の伝統的な武道は競技として、あるいは公教育の場にも定着していく。

文責:酒井利信