Budo World

しない打ち込み剣術

 近世中期までの剣術は、形による約束稽古であった。しかしこれがまさしく形だけのものになり、実戦性、実用性から遠ざかっていくのは自然の成り行きである。
 当然のことながら志を高く持った人々はこれに疑問を感じていた。そこで登場したのが、防具(剣道具)をつけて「しない」をもって自由に打ち合う「しない打ち込み稽古」である。
 この当時使われていたしないは「袋しない」といって、竹の先を細かく割ってこれに革の袋をかぶせて作ったものである。
剣道具の歴史については不明な点も多いが、延宝年間(1673~81)頃には様々な流派で部分的に使用されていたといわれ、それを正徳年間(1711~16)に直心影流の長沼四郎左衛門国郷が面・小手・胴・垂の四つをセットで使うようになったといわれている。さらに宝暦年間(1751~64)に中西忠蔵つぐ子たけ武が一刀流で使用するようになると、急速に世に広まった。その後、工夫改良が加えられ天保年間(1830~44)には今日のような形の剣道具が完成したといわれている。

文責:酒井利信