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武道史における神授の思想について 酒井利信(筑波大学)

 

武道研究最前線シリーズ②

武道史における神授の思想について

酒井 利信(筑波大学)

 武道学における思想研究において、心身関係論に関する研究が多くなされてきたが、これらの先行研究では近世武芸の心身関係論には禅の影響が大いにあり、これは「克己の思想」であったことが指摘されている。
 本研究は、筆者のこれまでの刀剣思想に関する研究業績を総覧することにより、武道史の中で一つ前の時代である室町期に焦点を当てることにより先学とは別の側面を明らかにし、更にその思想の内容および思想的背景、思想形成の経緯を東アジア三国の思想範囲において論じようとするものである。

 論旨は、以下の通りである。
・中世室町期における剣豪の極意獲得のプロセスには、「神授の思想」がみられ、以下の共通性を有する。
1) 神宮・神社という神と接触可能な場における参籠
2)前提としての苦行
3)夢を介しての神授
・神授の技術の内容としては、神道的世界観を背景とし、神代霊剣と自らの太刀を同一視した辟邪の呪術であり、「我も斬り彼も斬る」といった内外二方向性をもつものであった。
・剣術における呪術は、剣と神の関係が重要であるが、この関係性は神話の中で神代霊剣自体が神授の呪剣であるという神話的イメージによりオーソライズされていた。
・剣を神聖視する思想のルーツは古代中国にあり、春秋時代の呉越地方に起源があると考えて良い。
・辟邪の呪剣の思想は、剣が中国道教の中で祭器として使われはじめた辺りを起点として、花郎に表徴される朝鮮そして日本へと繋がる、東アジア三国をまたにかけた系譜を形成した。
・剣の神聖性の認識の仕方(根拠づけ方)について、古代中国における天命思想により星を神聖視しこれを直接剣に彫り込むという認識から、朝鮮花郎にみられる天の星や道教神が剣に霊威を降すという認識を経て、古代日本における神聖な剣自体が神により地上に降されるという神話的イメージが形成された。具体的思考から抽象的思考への変遷が特徴としてあげられる。
・神授の呪剣の観念は、古代朝鮮において認められ、以後日本につながる流れを形成する。神授という荒唐無稽にみえる思想は、少なくとも具体的・合理的思考により剣の神聖性を根拠づけていた古代中国にはみられないものであり、朝鮮から日本へとその抽象的思考の傾向が強まったことにより顕著になったものと考えられる。

 以上の点を指摘した上で更に考察を深めると、参籠開眼の前提となった「苦行」については、東アジアの思想的な流れの中で考えると、呪法を得るための一種のイニシエーションと解することもでき、既にこういった傾向は古代朝鮮の段階で認められる。更に穿った見方をすれば、自ら望んで行った、しかも身体性を強く伴う苦行である点(身体性の重視)、神仏習合による仏教あるいは修験道の影響が考えられ、この辺りについては今後研究を進める必要がある。
 更に「夢」についてであるが、夢を介しての神々との接触は日本的特徴といえよう。朝鮮半島を含めた中国大陸における剣の思想に、こういった夢の関与はみられない。日本における剣の思想に関する限り、夢にかかわる伝説は、管見のところ神武東征神話が初出とみてよい。

最期に、本論で論じてきた「神授の思想」は、あくまでも近世人からみた中世室町期の武芸者に関する思想であること、また近世になってこの思想に仏教的「克己の思想」が取って代わったということではなく、彼らの思想の中で「神授の思想」はそのままに近世以降の「克己の思想」が積み重なって武道史を紡いでいった点を確認しておきたい。

*フルペーパーは、武道学研究49-1( 2016年8月)に掲載されています.