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神話の中の武

霊剣—草薙剣の出現

 日本神話に描かれているものとして、古代二大霊剣というものがある。一つは先に述べた韴霊剣であり、もう一つは草薙剣である。
 ちなみに十拳(握)剣(とつかのつるぎ)をいれて三大霊剣としている論説もあるが、これは間違いである。十拳(握)剣とは、長さが握りこぶし十個分もある長大で立派な剣という意味であり、固有名詞ではない。
 草薙剣の出自は、ヤマタノヲロチ神話にある。
 以下にその概要を示すと、スサノヲという神が高天原から下界にある出雲の国の肥(ひ)の河の上流に降り立つ。そこで乙女を挟んで年老いた男女が泣いているところに遭遇する。なぜ泣いているのかというと、ヤマタノヲロチという頭が八つ尾が八つある蛇体の怪物が毎年娘をひとりずつ喰いに来る。今年もそろそろ来るころなので泣いているという。スサノヲは、この乙女クシナダヒメと結婚することを条件に、ヤマタノヲロチを退治することになる。強い酒を用意し、これを飲んで酔って寝てしまったヤマタノヲロチを、スサノヲはもっていた剣でズタズタに斬り殺す。その際、一つの尾を斬った時に剣の刃が欠けたので不思議に思いその尾を割いてみたところ、そこから神々しい霊剣が出てきた。この剣を天叢雲剣といい、後に草薙剣といった。スサノヲはこの霊剣があまりに神々しいので、これを天上界の天照大神に献上した。以上のような内容である。
 通常この神話は、英雄が怪物を倒して女性を助けこれと結ばれるというペレセウス・アンドロメダ型の神話として理解されるが、ここでは本稿のテーマにそって解釈しておきたい。
まず舞台となっている肥の河というのは、出雲にある斐伊(ひい)川のことであり、古来氾濫を繰り返す暴れ川であった。ヤマタノヲロチとはこの暴れ川を象徴する水の精霊と考えてよい。頭が八つ尾が八つある異様な姿態は、いくつかの源流が集まって本流となり、これがまたいくつかの支流に分かれていく姿を表わしているのだろう。この神は荒ぶる神であり、畏怖の対象であった。それ故に鎮められなくてはならず、この怪物が毎年娘を食ってしまうという話の背景には、この地方にあった人身供犠の風習があったのだろう。しかしこれも火の神と同様に、かつて畏怖の対象であった荒ぶる神は文明の進歩にともなって克服されていく。それ故に、この神話の中では、文明の象徴である剣によって斬られるという描写がなされたものと考えられる。
 斐伊川は、古来良質の砂鉄を産するところである。現在でもこの川の上流である横田で、たたら製鉄により刀剣の原料となる玉鋼が作られている。こういった背景から、この神話の中で、斐伊川の象徴であるヤマタノヲロチから神聖なる剣が出現するのである。
 そして重要なことは、下界において出現した霊剣が、天上界に上げられたということである。

三種の神器の降臨

 草薙剣は、その後、天孫降臨神話において三種の神器の一つとして降臨する。
 先にも述べたが、武神タケミカヅチの派遣により国譲りが承諾され、いよいよ天孫であるホノニニギが地上の統治者として降臨していくという話が天孫降臨神話である。
 天照大神は、天孫が降臨するに際して、八咫鏡と草薙剣(天叢雲剣)、八尺瓊勾玉の三つの宝を地上の王の証として授けた。これが三種の神器である。
 この天孫降臨神話は、天皇の尊貴性を天上界の天照大神との血統的なつながりによって語ろうとするものであり、非常に政治色の強い神話である。従って、そもそも語り継がれてきたものが後世において作り変えられたような部分が多く見受けられ、本来神器は三種ではなく鏡と剣の二種であったのではないか、あるいは三種の神器としての剣とヤマタノヲロチ神話に出現した剣は別のものであったのではないか等々、様々な学説が提出されていることは事実である。これについての詳細あるいは筆者の自説を述べる余裕を持たないが、ここでは三種の神器が代々天皇に受け継がれているその本質的な部分についてのみ触れておきたい。
古代社会は現代とは異なり人智の及ぶ範囲はごく限られており、人々は災厄を退け豊作などの恵みを受けるには、祭において神々と交信し祈願するしかなかった。これを中心となって執り行ったのが呪術師、シャーマンである。強い呪力をもったシャーマンがその社会を統治していった。和辻哲郎は、古代日本において国家の統一は「祭事の総攬(そうらん)」によって遂げられたと語る[8]。そして最も強い呪力をもち最も大きな社会を統治していたのが天皇であると考えられる。天皇が神々と交信する際に使った呪具が鏡と剣と勾玉であり、これを次の天皇に受け継いで行くことが制度化されたものが三種の神器であろう。
 こういった現実社会における事柄を、天上界の天照大神との関係において権威づけし神話の中で語ったものが天孫降臨神話である。
 呪術王である天皇が使った呪具に剣が含まれていたこと、これが神話の中で天から降りてきたものとして語られていることに特に注目しておきたい。
 三種の神器は単に古代の話ではない。様々な経緯を経て[9]、現在でも皇位の象徴として天皇家に伝えられている。近い記憶としては、昭和天皇が崩御され今上天皇が即位されるにあたり、この三種の神器が儀式的に譲渡された。そして現代における三種の神器の神聖性の根拠は、この天孫降臨神話に求められるのが通常である。

生大刀(いくたち)・生弓矢(いくゆみや)

 そもそも天孫が降臨する前の葦原中国は、大国主という国つ神が統治するところであったが、大国主は地下の国での試練に耐えてこの地上の国の支配者となった。この経緯を語ったのが、根の国神話である。
 オホナムチ(大国主の別名)は、兄弟である八十神(やそがみ)たちから妬まれ二度も殺されるが、母に助けられて蘇生する。オホナムチはさらに続く八十神たちからの迫害から逃れて、地下の国である根の国へ行く。そこはスサノヲが支配する国であった。オホナムチは、その国に到着するなりスサノヲの娘であるスセリビメと恋に落ちる。ここでオホナムチは蛇のいる部屋やムカデやハチのいる部屋に寝かされるなどの試練を受けるが、スセリビメの助けにより、呪術をもってこれを克服する[10]。その他にも過酷な試練を受けるがオホナムチはそれらを無事に切り抜けていく。そしてスサノヲが寝ている隙に、根の国の呪宝である生大刀と生弓矢、天の詔琴(あめののりごと)を奪って、スセリビメを連れてこの国から脱出する。その際、目を覚ましたスサノヲから、「そのお前の持っている生大刀と生弓矢をもって兄弟である八十神たちをやっつけ、葦原中国を統治して大国主となれ」という言葉を投げかけられる。オホナムチは、言われた通りに生大刀と生弓矢をもって兄弟である八十神たちを追い払い、「偉大な国の主」という意味をもつ大国主神として葦原中国を治めた。
 オホナムチがスサノヲから奪った天の詔琴とは、神懸かりして神託を受ける際の呪具であるが、生大刀と生弓矢も王たる者のもつ呪具である。三種の神器と同様に、支配者のステータスシンボルとしての意味合いもあったものと考えられる。
 そしてなにより、この件の描写自体が呪術的色彩が非常に強いものであり、弓矢もまた大刀[11]と同様に、八十神などのような敵対する邪神の類を排除する呪術の道具であったことに注目しておきたい。

天より降る弓矢

 神話において語られる弓矢について、もう一つ注目しておかなくてはならないのが、アメノワカヒコ神話である。
 タケミカヅチによる国譲りの神話は先に紹介したが、実はこれには前段がある。天照大神は、タケミカヅチの前に他の者を派遣し、二回失敗している。最初がアメノホヒの派遣であるが、この使者は大国主に媚びて三年たっても帰ってこなかった。そして二回目が、アメノワカヒコの派遣である。この辺りの経緯を語ったのが、アメノワカヒコ神話である。
 天照大神はアメノワカヒコを国譲りの第二の使者として下界に送る。その際、天照大神はアメノワカヒコに、アメノマカコ弓とアメノハハ矢[12]という弓矢を授けた。しかしアメノワカヒコは大国主の娘であるシタテルヒメを娶り、八年もの間復命しなかった。そこで天照は様子を探るために鳴女(なきめ)という雉を遣わした。アメノワカヒコはこの雉を、天照から授かった弓矢で射殺してしまう。そしてこの矢は、雉の胸を射通して天上界の神々のもとに届いた。天上界にいた天つ神は、この血のついた矢をみて「この矢はアメノワカヒコに我われが授けた矢だ」「もしアメノワカヒコが命令に背かず悪い神を射た矢がここに届いたのならアメノワカヒコに当たるな。もし反逆の心があるのであればアメノワカヒコに当たって死ね」と言って、矢が通ってきた穴から逆につき返した。その矢は、寝ていたアメノワカヒコの胸に当たり死んでしまった。
この神話には二つの重要な要素が含まれている。
 一つは、大役を託され下界に降りるにあたって、任務・地位の象徴として弓矢が授けられているということである。ここには天孫降臨の際の三種の神器と同様の思想が内在している。
もう一つは、天上から投げ返された矢によって反逆者であるアメノワカヒコが死んだという描写である。これは「うけい」の呪術である。うけいとは、あらかじめ「こうであったらこう」ということを言葉にする、あるいは心に期してから、神意や何が真実であるかということを占う一種の呪術である[13]。この神話では天つ神より、アメノワカヒコに邪心がなければ当たらず、反逆心があるのであれば矢に当たって死ぬ、ということが口に出して言われており、典型的なうけいの呪術である。アメノワカヒコには実際に反逆心があったため、うけいの結果、この邪神は死ぬこととなる。
 このうけいの呪術において、矢は邪悪を排除する呪力をもつものとして描かれていることにも注目しておきたい。

丹塗矢(にぬりや)の伝説

 古代の矢に関する神話で、注目しておかなくてはならないものに、もう一つ丹塗矢の伝説がある。
 まずは神武天皇の皇后となったイスケヨリヒメの出自を語る、『古事記』に記された神武皇后選定説話からみてみたい。
 セヤダタラヒメという麗しい乙女にオホモノヌシという神が心を奪われ、丹塗矢に身を代えて乙女が用をたしに入った溝川の上にある厠の下に流れてきて陰部を突いた。乙女は驚いてその矢を持ち帰り床の辺に置いたところ、その矢はたちまち麗しい男となり、乙女を妻として産ませたのが後に神武天皇の皇后となるイスケヨリヒメである。
以上の様な内容である。
 次に同様のモチーフをもつ、『山城国風土記』の逸文に記されている、加茂伝説をみてみたい。
 タマヨリヒメが小川で遊んでいたところ、丹塗矢が川上から流れてきたので、これを持ち帰って床の辺に置いたところ、身ごもり男の子を産んだ。この丹塗矢は火(ほの)雷(いかづちの)神(かみ)の化身であった。
 いずれも、神の化身として丹塗矢が川を流れてきて、巫女に接触して神の子を産ませる、といった話である。これらを丹塗矢型の神話という。
 先ずここで重要なことは、矢が神の化身であるということである。国譲り神話において、タケミカヅチが剣(韴霊剣)と一心同体であったように、矢は神そのものとして描かれている。
そしてこの丹塗矢型の神話に特徴的なことは、神の化身である矢は、剣のように天上から降りてはこない。川を流れてやってくる。つまりこの場合、神々の世界は天上ではなく水平方向にある。日本神話が垂直上方に神々の世界を求めるような世界観に作りかえられる前の、日本古来の古い神話世界がここには残存している。
 もう一つ、丹塗矢そのものについて考えてみたい。丹塗矢は、雷光、生命力、男性の象徴などと理解されているが、さらに重要な側面を持ち合わせている。そもそも丹塗矢とは、赤く塗られた矢のことである。この赤は血を意味し、大きな除魔力があると信じられていた。丹塗矢は、神の子を生むという生成の呪力と、反面こういった邪霊を排除するような呪力をももつ呪具であったということである。アメノワカヒコ神話において、血のついた矢によって、邪神として描かれるアメノワカヒコが殺されたのも、このことと無関係ではないだろう。

おわりに

 以上、神話の中の武をあまり理論構築をしすぎないように注意しながらトピックス的に取り扱いつつ記述してきたが、端的に言えば、神話の中で、主に剣と弓矢が呪具として武(=舞)を行うのに中心となって機能してきたということである。神話の中で、もちろんこれらが武器として使用された記述はあるが、後世のように洗練された高度な技術があったとは考えにくい。ましてそこに思想的な深みはない。
 これら剣や弓矢の呪具としての神聖性の拠りどころは、神との関係にあるといってよい。このことが顕著に語られたのが、剣や矢が神そのもの、神と一心同体のものとして表現された国譲り神話や丹塗矢の伝説の描写であろう。そして剣や矢が神と分離された精神世界のステージにおいて、これらは神々の世界と下界を行き来し繋ぐものとして神話の中で描かれていた。
そしてその呪術性ゆえに、剣や弓矢は、それを使うことのできる能力(呪力)をもつ者のステータス・シンボルとなっていった。
 特筆すべきは、武の呪術性は、何ものかを生み出す生成の呪術といったことはあるものの、神々の力をかりつつ邪悪を排除するところに大きな特徴があるといってよいだろう。これを私は辟邪(へきじゃ)(邪を辟(さ)ける)の呪術といっている[14]
 以上に要約できるような神話的イメージは、まるで心の遺伝子ででもあるかのごとく、その後の日本人の精神世界に確固として受け継がれていき、ひいては武士の心性に多大な影響を与えたものと考えられる。
 剣や弓矢の持つ辟邪の呪術性は、古代神話の中では、外なる邪悪に向けられている。古代社会において、人智を超えるものの多くは外にあったためであろう。しかし歴史時代にはいり、文明も発達し、武士の世に至って武が「戈をもって止(足)で進む」時代、生死の境を前提として生きた武士たちは、いかんともしがたいものは自己の内にあることに気付いた。彼らはこの解決すべき喫緊の課題をも、辟邪の武をもって解決しようとした。武士が自らのステータス・シンボルである刀剣を、まるで一点の曇りもなく磨き上げたのはこのためである。彼らはそこに自らの心を映し込み、そこに神さえ感じ、これによって自らの心を浄化した。そしてこういった思想は、近世という平和な時代にあって、武は「戈を止める」ものであるということが武士の存在意義として強く打ち出される中、戦という場を離れた倫理・道徳的な精神性を実現するものとして機能しはじめる。ここには剣の思想の日本刀への投影ということが述べられる必要があるが、紙幅の都合もありこのことは別稿に譲る。武士は、神話的イメージにより、そもそも辟邪の呪力をもつ刀剣によって自らの内にある邪心邪念を観念的に払った。同様のことは弓矢にもあったはずである。
 このことが、日本精神史における武士の最大の特徴といえはしないだろうか。

[10] 具体的には、スセリビメから与えられた蛇の比礼(ひれ)(細長く薄い布)やムカデやハチの比礼の呪力により難を逃れた。

[11] 古代において「たち」は、刀剣と同様に剣と刀の総称。

[12] 同じ件で、アメノハジ弓とアメノカク矢に名称が変わる。

[13] 一つ事例をあげておくと、コノハナノサクヤビメの神話がある。コノハナノサクヤビメは天孫ニニギと一夜婚(ひとよこん)をし懐妊する。しかしニニギは、これが自分の子ではなく国つ神の子ではないかと疑いをもつ。これに対してコノハナノサクヤビメは、「私の身ごもった子がもし国つ神の子であれば出産の際に無事ではありますまい。もし天つ神であるニニギの子であれば無事に産まれましょう」とはっきりと口に出してから出産に臨む。つまり、いずれにせよ、宣言した通りであればこれが神意として証明されたことになる。結果、コノハナサクヤビメは無事にホデリ以下三神を産む。つまり神意により潔白が証明されたことになる。これなどは典型的な「うけい」の呪術の事例である。

(『季刊iichiko』No.111に掲載)