中世の武は弓が主導し、近世の武は剣が主導したが、明治維新以後の近・現代の武を主導してきたのは良くも悪くも柔道であるといってよい。
そしてキーパーソンとなるのが嘉納治五郎である。嘉納治五郎とは近世までの柔術を、近代日本に適するようにアレンジして講道館柔道を作り上げ、現在に見る隆盛の基礎を築き上げた人物である。
嘉納は万延元年(1860)に生まれ、幼少より身体が虚弱であったという。この劣等感から小さな身体の者でも大男を投げ飛ばすことができるという柔術に興味をもち、修行をはじめる。近世の柔術の特徴は「柔よく剛を制する」といい、大きく剛健な者を、小さな者が柔らかく対応して投げるということである。嘉納はこれに惹かれて柔術を始めた。
最初、天神真楊流という流派の柔術を習い、次いで起倒流を学んだ。この柔術の修行の中で彼は三つの発見をしたという。体力増強に非常に効果があったということ、精神的にも非常に効果があったということ、そして勝負の理法を実生活に応用できるということ、この三つである。そして彼はこの発見から、時代に相応しいものに再編すれば青少年の教育上価値の高い教育材になると確信するにいたる。そして人の道を講ずるところという意味で「講道館」という柔道を創始した。正式名称は「日本伝講道館柔道」である。
嘉納の面白いところは、身体的劣等から柔術をはじめ、激しい修行で実力をつけた後に武術家としての強さを前面に出していくのではなく、柔術の教育的価値に気付いて教育者として活躍するところである。実際に学習院や熊本第五高等学校、東京高等師範学校の校長などを歴任する。
そして嘉納は、自分の創始したものはそれまでの「柔術」とは違って遙かに深い意味をもつものであるから、区別する意味で「術」ではなく「道」の語を使用し、あえて「柔道」とした。この「道」という語は、体育(筋肉を適当に発達させ、身体を壮健にし、身体四肢の動きを自由にする)、勝負(実戦の勝負にかかわること)、修心(生活倫理・道徳にかかわること)にわたる人間教育を意識しての使用であるという。
彼の考え方の特徴は、柔道を人間教育の問題として取り扱ったところにある。
さらに嘉納は大正11年に二つのモットーを掲げる。心身の力を有効に利用するという意味の「精力善用」と、自他共に満足を得ることが大切であるという道徳的意味を含んだ「自他共栄」である。嘉納以前の柔術が「柔よく剛を制する」といういたって技術的なことを標榜していたのに対して、いたって社会性を考慮したモットーである。
嘉納はアジア初の国際オリンピック委員などもし、近代オリンピックの父といわれるピエール・ド・クーベルタンと親交が深かった。こういった人たちとの関係から、西洋的な思想の影響をうけてこういったモットーを作り上げていったのであろう。
明治という西洋のものが全て新しく見え、近世以前の武術などはかえりみられないような風潮の時代にあって、これを当時の時代にあった形に焼き直しをし、そしてなにより教育の中に位置付けたところに、嘉納治五郎という人物の最大の功績がある。
文責:酒井利信